「ごめんね」が言えない

謝罪の王様」って映画を見て思った事。

ラーメン店で汁を飛ばされ「熱っ!」ってなって謝ってもらえなかったシーンがある。

「ごめんね」が言えない人がいる。

たとえば乗合バスの中で足をちょっと踏まれた時、ひと言「あっごめん」と言われるか、それとも何事もなかったように振る舞われるかで、踏まれた人の感情は全く違ったものになる。

友達や家族でもたったひと言の「ごめん」を聞きたいだけなのに、いろんな理由や事情を聞かされるだけの時はモヤモヤが残る。

逆にもしかしたら自分も誰かに「ごめんね」のひと言が欲しかったと思われていた時もあるのかも知れない。                  けれども自分が悪いと思っていなければ自分の心に嘘をついてまで「ごめん」とは言えない。

「ごめんなさい」が言えない人は、結局自分は悪いとは思っていないと言う事なのか。それとも謝りたくてもプライドや恥しさで謝れないのか。

そう思うとひと言の「ごめんね」をもらえなくても何となく許せる気にもなってきた。

謝るって事は自分を全面否定する事でもあるから、それって自分を卑下し、惨めにして貶める事でもあるから、謝り過ぎると精神崩壊にも繋がるから、自分を守る為にも謝らないのが正解なのかも知れないし。

他人の足を踏んだり、人の物を壊したり、明らかに迷惑をかけた場合は勿論誠心誠意謝らなくてはいけないと思うし、弁償して誰か他の人に謝りに行ってもらうのは違うと思う。

自分が謝って欲しいのに謝ってもらえない時には、「「ごめんね」が言えない人なんだな」と思う事で自分の怒りを鎮める事が出来るのかも知れない。

自分の判断で善悪を決めてるけど、人それぞれ国それぞれ、もしかしたら善悪さえ判断基準が違うのかも知れないし。

考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。