何故誕生日を祝うのか。
いろいろな意見があって、親から貰った命に対しての感謝や、一年を無事に過ごせてよかったと言う意味とか。
誕生日が待ち遠しくて嬉しかったのは子供の時だけで、それも本当の意味で嬉しいと言うよりはプレゼントを貰えるのとケーキが食べられるからという理由しかない。
18才以後はもう歳をとるのが嫌でたまらなかった。「おめでとう」と言われるのと自分のテンションの下がり具合のズレが何とも居心地が悪い。
今は誕生日は恐怖でしかない。 確実に人生の時間が残り少なくなっているのを感じる。
若い時は未来への夢や希望を持てるけれど、歳を重ねる毎に夢の大きさは段々と小さくなり、希望を持てる範囲は狭まっていく。若い人達への羨望を無理にかき消そうとしている自分がいる。
誰かが私の誕生日を祝おうとケーキとか持って来たら一応嬉しそうに振る舞ったりするのだけれど、本心は「やめて」と叫んでいる。もう嫌がらせかイジメにしか思えない。それに興味津々で「何歳になったん?」とか聞く人の神経がわからない。
素直じゃないね、私。
逆に「誕生日を祝わないなんて友達じゃないよ」って言う友達もいるから、一応プレゼントをあげたりするのだけど、自分の誕生日は言わないから毎年損してるような気もする。
誕生日は自分の努力で来るわけじゃないし、何なら生んでくれた母親の功績なんだから、母親に感謝してプレゼントをあげるほうが正しいのかも知れない。誰でも生きてさえいれば頑張らなくても誕生日は来るのだ。
誕生日を祝う文化って何なんだろうね。
誕生日をみんなが祝うのを辞めたらそれはそれでさみしいのかな。
私は誕生日を祝われるのは嫌いだけど、誰か他の人の誕生日を祝うのは何となく好きな方だ。プレゼントをあげたり一緒にケーキを食べるイベントが楽しいからだ。それって本当にその人の誕生日を祝ってるわけではなかったね。もしかしたらその人も本心は「やめて」と叫んでいるのかも知れない。
誕生日祝いはお付き合いに便利なものだ。それを理由に会ったりお喋り出来るからね。
自分の年齢を本当に忘れる事が出来たらいいのに。忘れようとしても、心の奥にはちゃんと把握している賢い私が憎らしい。