宇宙と死

父が死んでから一年経った。

夢を見た。

部屋で私は何か調べていて、部屋の少し離れた所に父が座っている。私は電話番号がわからず父に聞こうとする。

その状況がとても現実的だったので本当に現実だと思ったので、少し躊躇しながらも思い切って聞いた。「お父さん、一回死んだやんな?」そしたら、すぐ側に来て「心配せんでもここにいる」と。

そこで夢から覚めた。

前回の夢は死んでから7日程の時

死ぬ前、昏睡状態でいくら呼んでも目覚めなかった、手も足も冷たく動かない、ただ息をしているだけだった父が、ベッドの上に座って話をしてくれていた。私が子どもの頃に父が着ていた紺と白の浴衣で、手は温かく血色も良く、自由に動いている。

いっぱい話終わると「ほな行くわな」と言って自分で窓を開けてスーパーマンみたいに空を翔んで行った。私は大丈夫かな?上手に飛べるかな?と心配して見送った。

田坂広志さんの「死は存在しない」という本を読んでから、宇宙の映画や本に今ハマっている。「2001年宇宙の旅」「2010年宇宙の旅」「インターステラ」

宇宙と死は関連がある。

無から歪みによって生まれた宇宙、その中で私達は生まれそして無に帰る。

あたりまえで自然に思える。

意識は5次元もしくはもっと高次元の世界に存在し続けるのではないか?

父は死んだらどうなるのかといろいろな死に関する本を読んでいたが最終的には「それは死んだらわかる」と結論を出したらしい。死んで解ったのだろうか。

私はこのところ、父は意識レベルで存在すると感じている。

こういった本や映画に私を出会わせて、ここにいると伝えているのかも知れない。

ビットコインを買おうとしたら、スマホの不具合で買えなくなったのは、株はやるなと言っていた父の仕業かも知れないし、母のマンションに行こうとすると風邪を引いたり体調が悪くなったり、私に内緒で母と妹が会っている時に偶然にも電話を掛け母のマンションに向かわせたのも父かも知れない。仲の悪かった母方の叔父に会ってから咳が止まらなくなる事もあった。未だに父を悪く言う母の所へは行かないで欲しいのではと思える。死んでもまだ憎しみ合いは続いているのだ。

私が勝手にそう思っているだけなのかも知れないけれど、父ではなく、私の意識なのかも知れないけど。

そんなことを考えていると、今ここに居る事自体が現実なのかどうかも怪しくなる。

あんなにリアルな夢があるならそっちが本当の世界?

宇宙の歪みの中でたまたま存在している私。いつかはあたりまえに死ぬし。

すごく不思議な気持ちになる。

こんな私は大丈夫なのか?

ヤバい方向に進んでいないか不安にもなる。

休日ひとりで誰とも話さないとこんな事になる。

明日は仕事があるから普通に戻れるかな。