父の親父

「北陸へ行こう」敦賀から金沢まで北陸新幹線が開通した。京都から金沢までサンダーバード1本では行けなくなった。新幹線か在来線に乗り換えらしい。

私の父の故郷は金沢の山奥だ。15歳の時養子として京都へ上京した。以来京都で働き、結婚し、子どもを育て、そして別れ、京都で死ぬ。

サンダーバードに乗って故郷へ帰り、結婚すれば妻や子どもを連れて帰り、親や兄弟の幸、不幸、揉め事等、何かあるごとに金沢と京都を往復した。私もサンダーバードに乗って、親に連れられ、又は1人で祖先のお墓参り、そして従姉妹と会いに行った思い出がある。

北陸新幹線は東京方面の人には嬉しいかも知れないが、京都から金沢へは不便になった。何となく遠くなった気がする。

父の話しを思い出す。

中学を卒業した15歳の春。希望に膨らむ上京だったはず。引き取られたのは理髪店を営む親戚だった。子どもがいないので跡継ぎに欲しいと8人兄弟のうち1番年下の男の子をくれと頼まれたそうだ。はじめのうちは大切にされ、理容学校に通うが、病弱で小学校にあまり通えなかった父は勉強が出来ず理容学校の成績が悪かった。怒った養父母は父の親に、やっぱりこんな子はいらないから帰すと手紙を書いた。お盆になり「お前そろそろ親にも会いたいやろうから1回帰って来い」と旅費をくれた。何も知らない父は喜び勇んで故郷へ帰る。故郷の両親は父に何も言わなかった。母は優しかった。親父だけが手紙の内容を知っていた。1週間が過ぎ帰る時「また来るからな」と手を振って山を降りようとした。両親が手を振っている。そしていつも厳しい、絶対泣いたりしなかった親父の頬に涙がポロポロ流れるのを見る。珍しいこともあるもんだと不思議に思いながら京都へ帰って来た。養父母は驚き「何で帰って来たんや」と。親父は養父母に「この子はお前の家の子になったんや、もううちの子やない」と言ったそうだ。

父の親父。

私は祖父とは子どもの頃に会っただけで話した記憶はないが、厳しいけれど優しい人だったと想像する。あの時代、一度村を出て行った人間が戻って来てもどうしようもないのだ。馬鹿にされるだけだ。

父は親父を恨んだりしなかった。厳しく育てられたが、子どもの頃病気だった父を背中の籠に入れて山道を1時間かけて降り、病院へ連れて行ってくれた記憶は死ぬまで消える事はなかった。