線路沿いの桜が見たい

桜が満開だ。

3年前の週末、父のマンションの最寄り駅の線路沿いの桜も満開だった。父はその桜は見ただろうか。「駅の桜が綺麗らしいな」と言っていた記憶がある。その頃は父が死ぬとは思ってはいなかった。本人は「もうすぐ死ぬ」と頻繁に言っていたが、狼が来たというイソップ物語を聞くようにまだまだ先の事と思っていたのだ。

父が死んでからはお墓参りの後にマンション界隈を歩くというパターンになり、最寄り駅からの道をあれから歩いてない。休日、久し振りに歩いてみたいなあと思ったが、日々の雑用が溜まり、自分の体調もイマイチなので諦めた。

あるお坊さんの話。              供養とは共に養うと言う事。亡くなった人ではなく大切な人を亡くして死を悼む人のためのものである。あなたがずっと悲しんで自分の人生を生きられていないと、亡くなった人が悲しむとは思いませんか。亡くなったお父様の事ばかり思って、自分の生きる時間をそれによって無駄にするのですよ。

父を想うのもよいけれど、自分の生きる事が大切なのだと、お墓参りにも絶対行かなければ、と思わなくてもよいのだという気になった。たとえ忘れても私の中には父の血が流れている。

ちゃんと生きよう。悲しみたい時泣いて嬉しい時笑って、やりたい事やる行きたい所へ行くために働いて、自分を生きよう。

駅の桜を見てあの道を歩くのはまた来年でもいいかな。