ズルくないと生きられない

自分の思い通りに行かない時、上手く行かない時、不幸に見舞われた時に、他人のせいにすると楽になる。悪い事ズルい事をした時も他人のせいにすると楽になる。

自分で責任取るのはしんどいものね。

子供の頃スーパーでノートを買おうと思って手に取るその横に可愛らしいシールが置いてあった。私はノートにそっとそれを挟んでレジに持って行った。成功した。

けれどもちっとも嬉しくなかった。それどころかそのシールを見ると悲しくなった。

中学のバレーボール部の試合で、私はブロックでネットタッチをした。相手のスパイクのボールはアウト。審判は私のチームに手を挙げ、チームメイトは喜びのポーズを取ったその時、私は「はい」と手を挙げネットタッチしましたと合図した。タイムの時、顧問の先生に「アホか、自分からネットタッチしましたと言うなんて」と叱られた。私は悪い事したなと思った。

けど、今は私は私でそれでよかったと思っている。もしそれで試合に勝っても私はあの時のシールと同じで嬉しくなかったはず。

大人になって、バイトに行ったパン屋は最低賃金で、明細書は毎回チェックしないと誤魔化された。バイトの子はみんな店長の目を盗んで具を思い切り入れたサンドイッチを作って持って帰ったり、勝ってにいろんなものを試食したりした。私も一緒にそうしないとそこでは生きて行けない空気になる。パン屋は閉店した。

次に行ったパン屋バイトはとてもよかった。時給は上がった。メチャメチャ忙しかったけど、朝食のトーストとコーヒーがもらえるし、儲かった分で日曜日にレクリエーションに連れて行ってくれた。ズルい事するなんて考えられなかった。

ズルい人がいる場所ではズルくないと生きられない。ズルい人にはズルい事で返すしかない。世の中はそうなっている。

父が「捕まるギリギリの悪い事しないとお金は儲からないようになってる」と言っていた事がある。

今の私には真面目にやってたら本当に生きられない世の中になっているようにしか見えない。

だけどズルい自分は悲しい。

亡くなった父がいつもお酒を頼んでいた酒屋さんの納品書の入った封筒を見つけた。

その店を訪ねてみた。そして聞いてみた。「父が払ってない分ありますか?」店の人は「水だけでちょっとやからもういいかって思ってたけど」と。数百円だったけど支払った。

父は「アホやな」って言うのかなと思いながら。