消える

父のマンションを引き払う日。
空の部屋で待つ。
思い出の物が何もないから、いつもより気持ちがすっきりしている。
暑いけど、冷房のコンセントを差すのが面倒なので窓を開けて待つ。
ピンポーン。
管理会社の人が来た。
以前電話した時と同じ人だ。
何故かこの人とは話しやすい。
向こうも私を覚えていた。
事務的な処理が終わり、
「あとは僕がやっておきます」と言われ、鍵を置いて私が部屋を出る。
そうか、もう私がこの部屋に入る権利はなくなったのか。
父が入院してから1ヶ月、その後亡くなってから解約しても2ヶ月分は家賃を払う契約になっていた。
私は7月末迄、この部屋が生きている事で、父との時間と思い出にゆっくり向き合った。
私の心のケアの為に家賃を払っていたんだな。
ありがとう。
今は父の骨はお墓に行き、私の部屋に写真だけが笑っている。
去年の今頃は普通に歩いて話して生活していた。
去年の今頃は来年も再来年も普通に来ると思っていた。
死んだら本当に何にも失くなるのだな。
身体が消える。
心も消える。
残された人の為に、死んでも魂があるとか、お盆に帰って来るとか言うけど、
本当はただ消えるのだと思う。
そう考えていても、私はお墓参りに行くのだ。
行って話しかけるのだ。
死んだ人よりも自分が駄目駄目人間だから。
自分が弱いから。
失なった心の空洞がどうしようもないから。