自分は一番大切なのか?

「自分を大切に」って言葉がある。

親しい人が悩んだりしている時にも「自分を一番大切にしてね」と声をかける。

自分を一番大切にして、二番目は家族、三番目は友人、四番目は知人と続くのだろうけど、

自分を大切にしていたら、それはそれで手いっぱいになってしまって二番目以降には手が回らない。

仕事はあるし、お付き合いはあるし、身体は日替り或いは継続してどこかが不具合で気になるし、時間はないし、日々自分が生活するだけでいっぱいいっぱいなのである。

もしかしたら、自分を大切にし過ぎているのかも知れない。心配し過ぎているのかも知れない。

自分の身体や足の痛みが心配、お金や仕事の心配、時間がない、自分の心の持って行きようがわからない等々。

そんなものを自分の魂から切り離してしまえたらどうだろう。

身体の不具合は自然治癒もしくは医者に委ねて、お金も仕事も時間も自分の魂とは関係なくて、人間が勝手に創造した概念でしかないから脇にやって、放り出してみたらどうだろう。

自分の心配をしなくて良くなったら、もっと見えて来る物があるのではないだろうか。

傷ついている人や心の中で密かに助けを求めている人に気が付く事が出来るのではないだろうか。

父親が死ぬ前、会いに来てと頻繁に連絡して来た時、自分を守るために避けていた。父親の死を見つめるのが怖い、自分の心が壊れるのが怖い、時間を取られて自分まで自滅するような気がして逃げていた。自分を守った。弱かったから、体力も気力もなかったと自分に言い訳をする。

妹の唐突な理由のわからない不機嫌から逃げた。助けられないと思ったから。自分も一緒に不幸になりそうで怖かった。もしも自分を守らなくてよかったらそこへ入って行く勇気はあったのだろうか。

みんな各々自分を守っているから、私の寂しさ悲しみに気がついてくれない。

みんながみんなそう思っている。

みんな自分が大切だから。

健康でお金もあって仕事が適度に順調で幸せな人だけが、他人を大切に出来るのかと言うと、そういう人は他人の苦しみや悲しみ寂しさを感じないから出来ない事もある。

人を大切にする事は自分のやりたい親切を押し付けたり、プレゼントを贈る事ではない。

気付く事から始まって、そうっと見守って、手を貸して欲しい合図や、側に来て寄り添ったり話を聞いて欲しいタイミングを見極める事。

その人の味方であると伝える事。

もちろん、自分を傷付けたり、おろそかにする事とは違う。

とても難しい。

魂のまわりにある身体や物事に惑わされる毎日である。