「モリー先生との火曜日」というDVDを観た。
私は「死」を怖れていた。
父が「自分はもうすぐ死ぬから」と何度も繰り返す事を嫌い「死」の世界へ引きずり込まれるのを避けた。父が死ぬと言う未来をを認めたくなかった。けれどもそれは現実となり、眼の前で父は死んで逝った。
「死」は悲しみでしかないからその事自体はさほど重要じゃなく、それまでの「生きている間」が最も大切なのではないか。
けれども「生きている間」も私は怖れに囚われる。いつか自分も死ぬと言う現実が怖くてそれに触れようとしない。考えれば考える程怖くなる。
「愛すること」「愛されること」も私は怖れていると思う。他人に裏切られるのが怖くて、嫌われるのが怖くて、愛を求めているにもかかわらず愛するやり方がわからず失敗を怖れる。そして無難な友情らしきもので手を打って、結婚にも踏み切る勇気がなかった。
自分が弱くて壊れるのを怖れている。
騙されないように疑り深くバリアを張っている。
そんな自分がさみしいくせに。
本当の友達やパートナーが欲しいくせに。
勇気がないんだ。
夕食を共にしながら家族の愛情を感じ、飲みながら友情を確認して、毎日ハグをして少しの会話でもいい、沈黙のまま一緒に居るだけでもいい、そんな毎日の繰り返しの人生があれば充分に幸せ。
大切な人と一緒に居られる時間はとても短い。
なのに今まで気付かなかった。
生きる為にお金を貯める事や、仕事のキャリアを積む事や、自分のスキルアップが最も大切だ、時間を無駄にするな、と考えていた時期。その間に育まれるはずの家族との会話や友達、恋人との時間が消えていた。
今更遅いかも知れないけれど、というよりこの映画のモリー先生の教え子のミッチよりもっともっと私は出来の悪い生徒で、モリー先生の教えをまだ理解出来ないし、勇気もないのだ。
今度は本で読もうと思う。
死ぬまでにそれがわかるかなあ、勇気が出るかなあ。
まだまだ遠いみたいな気がするけど、それでも最後まで諦めず勉強して考えて、試行錯誤しながら進むしかない。