父の死の悲しみから立ち直るのは、私が思うよりも早かった。
父への愛が少なかったからとかではない。
死というのはもうどうしようもない事実だからだ。諦めるしか選択肢はないからだ。
失恋のほうがもっともっと辛かった。
それは愛している人が生きているから。
諦めきれないから。
もしかして戻れるかもと心の奥で思ってしまうから。
街へ出掛ければ彼の姿を探してしまい、夜になれば絶対に来ないとわかっている電話やメールを待ってしまう。
生きているから、この同じ空の下で息をして、今何をしているのだろうと想像してしまうから。
まだ愛して欲しいと切に願ってしまう。
何年もそれは続く。
父は妻を愛し続けたけれど、最初から最後までその愛は報われなかった。
近くにいるからこそ辛かったのか。
妻に対する手紙やメモが大量に残されている。
愛を日記に綴り、哀しみ、切なさを書くことで、心の整理をしてきたのだ。
60年以上もの間、自分の報われない愛と葛藤し続けた。
「愛されるより愛する者が幸せである」
と自分に言い聞かせている。
そういう人生だったのか。
「生きるより死ぬほうの道を選ぶ」と言っていた。私には理解出来なかったけど、今わかる。
すぐ手の届く所に愛する人がいるのに、ずっと愛されないのは苦しみでしかない。
早く死にたいと言っていた意味。
愛する人に愛されない。
どんなに他に楽しい事があったとしても、自分が愛する人に愛されない苦しみが勝ってしまう。
最後は憎しみに変わってしまったかも知れないけれど、それでも愛していたから。
父の愛の手紙も日記も、もう妻には届かない。
私は届けない決心をした。
母に届けたらまた喧嘩しそうな気がするからね。せっかく死んだのにまた喧嘩はごめんだよ。
そっとそのまま捨てる。
そして灰になって空に散る。
私だけが知る父の生きた意味。
愛した人生。
ブラボー。