幸せの時間

今日は休日。

ここ最近の沈んだ気持ちと

身体の不調を解消したくて

嵐山の千光寺を目指す。

桂川の横の道をひたすら歩いて

坂と石段を息を切らしながら登る。

緑の木々の間から木漏れ日と共に

黄色の枯れ葉が舞っている。

湿った緑の匂いが肺の中を潤す。

山の上にある小さなお寺。

鐘を自由に撞いてよいと書いてあるので

人生初の鐘を撞かせていただいた。

ゴーンという音は思うより長い時間響く。

ここまではあまり人が来なくて

静かに自然を感じられる。

渡月橋の辺りは観光客が多すぎて

今日の私には合わない。

それでも嫌でも

頭の中にぐるぐるするのは

家族のこと。

ここで父が漕ぐボートに家族で乗った。

岩田山の猿に狙われた。

十三詣りの帰りに渡月橋で写真を撮った。

いつも笑ってた記憶。

いっぱいの家族の楽しい想い出は

私の中だけにあるのだろうか?

母も確かに笑っていた。

妹も自転車の練習で父と嵐山まで一緒に来たはず。

父は母を愛してると確かに言ったのを私だけが覚えている?

そんな楽しかった事すら忘れてしまう程

お互いに憎む事があったのだろうか?

あんなに仲良く思えた家族なのに

最後に残るのは

悲しみと憎しみと苦しみなのか?

みんなに想い出して欲しい。

楽しかった家族旅行。

笑って食べたバーベキュー。

卓球に夢中になった日々。

本当に忘れたの?

人生の幸せな時間が

確かに存在したこと。

私にはキラキラ輝いて見えるのだけれど。

沈んだ気持ちは

やっぱり解消されない。