父は最後、昏睡状態の時、私の声は少しは聞こえていたのだろうか?「お父さん」と呼ぶ声や「大丈夫だからな」という声は届いたのだろうか?私を最後に認識できたのはいつなの?
思い出すと、顔は普通の表情でいるのに、眼から勝手に涙がツゥーと流れている。
こんな泣きかたがあるんだ。
父が入院してから、と言うより、私が電話しても、父から電話が帰って来なくなってから、父の死を意識し始めてからは毎日泣いて、死んでからも泣いて。1人で泣いて。私だけが傍にいて、他の家族は来なかった。私だけがいっぱい泣いたのだろうか?母や妹はそんなに泣いてはいないのだろうか?辛くなかったのだろうか?
もしそうだったとしても、それでよかった。
父を一人占め出来た。いっぱい泣けた事は幸せ。こんな感情があること。生きていること。
大切な人を思えた事。愛があった事。

いつもの電車に乗っていつもの道を歩いて、いつものカフェで野菜カレーを食べながら、お気に入りの本を読んでから、父の部屋へ行く。
見慣れた部屋の風景。ほとんどの物がそのまま置かれているけれど、全部が薄く埃がかかっている部屋に入る。
電気を付けて、クーラーをつけて、今日はテレビに録画したままだった映画を見よう。
テレビにの前の椅子に座って、孫の手で肩や腰をマッサージしながら、映画に夢中になる。
CMが入って、ふと振り返る。
そこにはいつもベッドがあって、父が寝ていたけれど、やっぱり今日はいない。
マンションは1ヶ月後に契約が切れる。
思い出の部屋へ週末に遊びに行く。
私の楽しくて切ないイベント。
泣く癖に行きたい。
父の思い出がもうすぐ全部なくなる。
「父のマンションに遊びに行くごっこ
あと何回出来るかな。
哀しみで胸が苦しくなる癖に、やめられない遊び。自分て馬鹿だなあ。
何やってるんだろう。

もう1ヶ月が過ぎた。早いね。
人の命は短いね。
百年も生きられない。
切なくて。
毎日が勿体無くて。
何にも出来ないまま、どんどん時間だけ過ぎていく。
何の為に人は生まれてくるの?
いつかはみんな死ぬのに。
泣いたり怒ったりしたことも大切な思い出に変わってしまった。
どうして人間には感情があるの?記憶があるの?辛いのに。
思い出は楽しさも優しさも与えてくれるけれど、涙も一緒に連れて来る。