ある文章が私の心を優しく浄化した。
かつての日本では「かなし」は「悲し」の他に「愛し」「美し」とも書いて「かなし」と読んだ。
暗い部屋で独りいる
賑やかな街の景色の中を歩く
友人と笑顔でお喋りする
胸の空洞に風が吹き過ぎる。
何処へも置き所のない悲しみ、身体に溜まっていく涙。
辛いのでも、しんどいのでもない。
悲しいだけだから。
悲しみは私にとって悪だ、マイナスだと思っていた。
早く悲しみを乗り越えて元気に笑う事が重要だと思っていた。
そんな私に優しく寄り添うように
その文章の奥深くから語りかけられた気がした。
悲しみが深ければ深い程
その愛情は深かったと。
悲しみは
愛した美しい心そのもの。
愛された証。
その悲しみから流れる涙は
美しい愛の宝石の煌めき。
悲しみは乗り越えなくていい。
悲しみを人生の道連れにして大切にする。
「悲し」は
「愛し」「美し」私と死者の心だから。