忘れてしまうのがさみしい

父が亡くなって一年と8か月が経った。

去年の今頃は、父を思い出しては悲しみや寂しさを味わっていた。毎日出掛ける前に写真の父に「行って来るね」帰って来たら「ただいま」と言って、思い出すと泣いていた。

今は写真を素通りしているよね。時々、父の面白いエピソードやいろいろな出来事を思い出すけれど、それがもう悲しみには繋がらない。少しずつ心の中にあった「父の死」という悲しい思いが消えていったのだ。何を忘れて行っているんだろう。大切な大好きな私にとってたったひとりの父。どんな時も私の味方だった人。どんなに歳をとって老いても、耳も遠くなって、眼も余り見えなくなっても、ゆっくりしか歩けなくなっても、働けなくなって財産も失くしても、それでも私より強かった人。

最後に対面で交わしたのは病院を変わる時の移動の一瞬、ちょっと笑顔で片手を上げて私に合図した。「お金持ったか?」病院に預けていたお金の事だ。自分より私の心配してる。その時がしっかり会話出来る最後だった。コロナ禍、危篤、昏睡状態になってからの面会で最期を迎える事になる。電話は最期まで私とのコミュニケーションツールだった。いつも電話をすると必ず折り返してくれる人だった。酸素吸入で口を塞がれていてもそれをとって「あ~、うッ」もう話す力もないのに。看護師さんに怒られてた。

今思い出すとやっぱり涙が出て来るけど、忘れるってさみしい。悲しみを悲しみ尽くす事で愛していた事を確認していた。悲しみたくて側に居たくてそこに居た。こうやって少しずつ忘れて悲しむ時間が減って毎日が普通に過ぎて行く。テレビで有名人の訃報が流れて、その人の思い出番組がしばらく放送されるけどしばらくすると忘れてしまうのと大して変わらないじゃないか。私って酷いな。

忘れないためにまた少しずつ父のエピソードを書きたいです。波乱万丈で破天荒な人だったのでいっぱいあるので忘れないうちに。

今日も読んで下さってありがとうございます。