弱みにつけこまれてないで

満願の日に父は亡くなった。
泣きながら後祈願の継続をお願いしたのに。
叔母の時も叔父の時も、願いは届かなかった。
もうお願いなんかしない。
私が弱いだけなんだから。
私の心の弱さを、願う事で何とかして貰おうとしている。
お金で何とかして貰おうとしている。
愚かな自分。
お寺だってお金儲け。
葬儀屋だってお金儲け。
アフターサービスとか言って、分厚い資料が送られてくる。
貴女の悲しみにつけこまさせていただきますって事か。
当たり前だけど、お坊さんはその時だけの付き合いで、多分私の事も父の事もすぐ忘れるだろう。
それにしても、私の勝手な期待に反しただけだけど、忘れられていたと感じた事が悲しかった。今日のは違う涙。悔し涙。
もう少し上手くやりなよ。嘘でも。
私は強くなろう。
もう神様や仏様、いろんな宗教的な物には一切お金を使わない決意をする。
私が清い心でお金を払っても、もしかしたらそれは無駄遣いなのかも知れない。
弱みにつけこまれて搾取されているだけかも知れない。
奇跡を祈ることは無駄な事。
それよりも、親から引き継いだ命ある自分の未来へ投資する事が一番の供養。
これはすごい気付き。
父が「俺が死んでもそれに金を遣うな」って言ってたのは正しい。
阿保な私はだいぶ無駄遣いしてしまったよ。
阿保でごめん。
今日で止めてくれたんやな。
そう思ってこれからは引き締めます。