明石海峡大橋海上ウォークに参加したよ

明石海峡大橋海上ウォークに参加した。

舞子駅を降りて橋の科学館で受付してゼッケンをもらう。ゼッケンなんて高校生以来だからちょっと恥ずかしい。そしてヘルメットを被る。ヘルメットもここ何十年もバイクにも自転車にも乗ってないので係員の人にいちいちこれどうやるんですか?と聞く始末で外す時も上手く外せなくて助けて貰った。一班120人で歩く。橋のアンカレッジからビルの階段を上がる。ビルの7階くらいと言う事らしいが上がり切る頃には息が上がっていた。シャッターが上がりウォーキング開始。

下を見ると網目状の橋の下に海が見える。     やっぱり怖かったので、ひたすら前の人を見て歩く。係員さんの注意事項の「まず自分が落ちない事」というのが恐怖を煽ったので橋の真ん中をずっと歩く。けれど気になるのは足元で周りの景色を見ながらも時々チラチラ下を見ては「やっぱり怖い」と落ちることはないはずなのだけど、いろいろ想像してしまう。網目は靴のサイズより小さいけれど時々つま先や踵を少し引っ掛ける感じになる時がある。すごく足の小さい人だったらとかわけのわからない事を考えたり。

海の上は風が強くお天気が良く晴れていても思うより寒かった。厚着過ぎるかと思ったけどダウンコートを着て来て良かった。途中2回くらい休憩で水分補給して良いとの事で、ポットに入れて来た普通の熱湯が温かく有難かった。

ガラス越しではない景色、海。橋の下に船が通っていく。海上ウォーク。海の上を歩く。

チラチラと下を見る回数が増えていくとそのうちだんだん慣れて来る。橋の通路の網目は歩くに連れてどんどんと後ろへ後ろへと流れて行くのに、その下にキラキラと波打つ海はほぼ動かない。電車の窓から見る景色と同じで近くの家や畑はすぐ過ぎ去るのに遠くの景色や月があまり動かく自分に付いて来るみたいなのと同じなんだな。

海の上を飛ぶ鳥達はいつもこんな景色を見ているのだろうか。下を見て歩きながら鳥になった気分を味わう。淡路島がだんだん近付いて来る。ひとり参加なのでたっぷりメルヘンなお散歩になりました。

ウォーキング終了して階段を降りる時になんだかフワフワしてバランス悪い感じになったのは私だけでしょうか。歩きながら「私何やってるんでしょうか」と自問。「この橋渡ったからと言ってどうなんだ?」「何にもならんよ」と。

だけどなんか渡りたかった。歩いてみたかった。怖いけどそれがすごくワクワクした。ただそれだけです。

帰りは絵島を見て、ランチして、岩屋港からジェノバライン明石港まで船に乗りました。

ランチした店のしらす丼セットがめちゃくちゃ美味しくて量も多くて、その前に道の駅で明石焼きを食べたのを後悔したけど完食。1年前に出来たお店らしく、すごく可愛いおしゃれなお店でした。ただ注文してから30分以上待たされたけど、海の見えるカウンターでゆっくり出来るので全然オッケー。お店のお兄さんもとっても親切でした。

レレレのお姉さん

今のマンションに引っ越しして4年になる。マンションと言うよりも集合住宅に近いというか、新築の頃は学生寮だったのではないかと思わせる感じが、階段を上がったすぐの古いドアに「静かに、オシャベリもセズ…」と書いたセピア色に染まった紙が剥がし切れなくて引っ付いたままだったり、大家さんがやたら親切で節分に巻き寿司を持って来てくれたりしたかと思うと、選挙の日には「選挙行った?はい、今行って。」とか言ってくるような、ちょっといい感じの地域性のあるマンションなのだ。

2階の部屋なので、子供達の遊ぶ声もよく聞こえるし、隣の人の歌声とか時には変な叫び声?も聞こえる。最初はこの人大丈夫なの?と不安だったけど、今となっては、今日はご機嫌だとか、ああ心病んでるなとか思うだけで普通に馴染んて来た。

ずっと頭が上がらないなあと思う人がいる。

毎朝、レレレのおじさんみたいにお掃除しているお姉さん?かおばさん?(年齢不詳)がいる。引っ越し当初、ゴミ出しの日の朝に見かけて町内のお当番か何かかな?と「ありがとうございます」と声を掛けたのだけれど、ずっと他の人に代わる気配はなく、どうやら雨の日以外はほぼ毎日お掃除しているようだった。

自分の家の前を綺麗にお掃除する人は前に住んでいた町内にも居られたが、その人は自分の前の前の三軒両隣とお向かいの路地沿い、そしてそこから曲がってちょっと広くなっている路地迄お掃除をする。ゴミ出しの日にはゴミのネットを片付けてくれるし、どうなっているのだろうとずっと気になるのだが、たまにはお手伝いしようかと思う時もあるけれど、早起きが苦手な私はゴミ出しの時間に間に合わせるだけで必死で気持ちに身体は付いていかない。

土曜日の午後、買い物帰りにお掃除しているお姉さんを見かけた。黙々とお掃除しているので声を掛けないと気づいてもらえないのだけど、たまたまポケットにちょっと上等のチョコレートを持っていたのであげたくなって「あの、これあげる」って言ったらびっくりされた。「いつも綺麗にお掃除してくれてる」って言ったら「お掃除のおばちゃんなの」って笑っていた。

あんまりお話ししたこともないし、時々挨拶するだけの人なのだけど、その人がいるだけでこの町内が好きになる、優しくなれる、神様みたいな存在の人。

私はお掃除はすぐサボるし、まあるい掃除で終わってしまう人なので、我ながら駄目だなあと反省する毎日なのです。

2階のベランダから下を覗くと路地の角にお地蔵さんがある。そこに毎朝誰かがお参りして花を置いている。

大きな新しいマンションの6階とかではなくて、すぐそこに地域の人達が優しい生活を感じられる、ベランダから見える路地を悠々と歩く野良猫達がいる、そんな今の小さな部屋が大好きです。

何故誕生日を祝うのか

何故誕生日を祝うのか。

いろいろな意見があって、親から貰った命に対しての感謝や、一年を無事に過ごせてよかったと言う意味とか。

誕生日が待ち遠しくて嬉しかったのは子供の時だけで、それも本当の意味で嬉しいと言うよりはプレゼントを貰えるのとケーキが食べられるからという理由しかない。

18才以後はもう歳をとるのが嫌でたまらなかった。「おめでとう」と言われるのと自分のテンションの下がり具合のズレが何とも居心地が悪い。

今は誕生日は恐怖でしかない。          確実に人生の時間が残り少なくなっているのを感じる。

若い時は未来への夢や希望を持てるけれど、歳を重ねる毎に夢の大きさは段々と小さくなり、希望を持てる範囲は狭まっていく。若い人達への羨望を無理にかき消そうとしている自分がいる。

誰かが私の誕生日を祝おうとケーキとか持って来たら一応嬉しそうに振る舞ったりするのだけれど、本心は「やめて」と叫んでいる。もう嫌がらせかイジメにしか思えない。それに興味津々で「何歳になったん?」とか聞く人の神経がわからない。

素直じゃないね、私。

逆に「誕生日を祝わないなんて友達じゃないよ」って言う友達もいるから、一応プレゼントをあげたりするのだけど、自分の誕生日は言わないから毎年損してるような気もする。

誕生日は自分の努力で来るわけじゃないし、何なら生んでくれた母親の功績なんだから、母親に感謝してプレゼントをあげるほうが正しいのかも知れない。誰でも生きてさえいれば頑張らなくても誕生日は来るのだ。

誕生日を祝う文化って何なんだろうね。

誕生日をみんなが祝うのを辞めたらそれはそれでさみしいのかな。

私は誕生日を祝われるのは嫌いだけど、誰か他の人の誕生日を祝うのは何となく好きな方だ。プレゼントをあげたり一緒にケーキを食べるイベントが楽しいからだ。それって本当にその人の誕生日を祝ってるわけではなかったね。もしかしたらその人も本心は「やめて」と叫んでいるのかも知れない。

誕生日祝いはお付き合いに便利なものだ。それを理由に会ったりお喋り出来るからね。

自分の年齢を本当に忘れる事が出来たらいいのに。忘れようとしても、心の奥にはちゃんと把握している賢い私が憎らしい。

「ごめんね」が言えない

謝罪の王様」って映画を見て思った事。

ラーメン店で汁を飛ばされ「熱っ!」ってなって謝ってもらえなかったシーンがある。

「ごめんね」が言えない人がいる。

たとえば乗合バスの中で足をちょっと踏まれた時、ひと言「あっごめん」と言われるか、それとも何事もなかったように振る舞われるかで、踏まれた人の感情は全く違ったものになる。

友達や家族でもたったひと言の「ごめん」を聞きたいだけなのに、いろんな理由や事情を聞かされるだけの時はモヤモヤが残る。

逆にもしかしたら自分も誰かに「ごめんね」のひと言が欲しかったと思われていた時もあるのかも知れない。                  けれども自分が悪いと思っていなければ自分の心に嘘をついてまで「ごめん」とは言えない。

「ごめんなさい」が言えない人は、結局自分は悪いとは思っていないと言う事なのか。それとも謝りたくてもプライドや恥しさで謝れないのか。

そう思うとひと言の「ごめんね」をもらえなくても何となく許せる気にもなってきた。

謝るって事は自分を全面否定する事でもあるから、それって自分を卑下し、惨めにして貶める事でもあるから、謝り過ぎると精神崩壊にも繋がるから、自分を守る為にも謝らないのが正解なのかも知れないし。

他人の足を踏んだり、人の物を壊したり、明らかに迷惑をかけた場合は勿論誠心誠意謝らなくてはいけないと思うし、弁償して誰か他の人に謝りに行ってもらうのは違うと思う。

自分が謝って欲しいのに謝ってもらえない時には、「「ごめんね」が言えない人なんだな」と思う事で自分の怒りを鎮める事が出来るのかも知れない。

自分の判断で善悪を決めてるけど、人それぞれ国それぞれ、もしかしたら善悪さえ判断基準が違うのかも知れないし。

考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。

どっちにしても

今日の夢。

実家の襖を隔てた部屋で介護ベッドに寝ている父が「お母ちゃんに言うといてな。」      私は小さく「うん」と返す。         もう一回「ちゃんと言うといてな。」    「うん、わかった」再び「言うといてな」   私は大きく声を張り上げて「わかったから!」と怒ったみたいになる。

お米を収納ケースに入れようとしてお米が溢れてそこらにばらばらと散らかった。お米をひと粒ずつ拾う悲しい作業。

耳の遠い父との会話に苛立っていた事。      夫婦の会話がなく私にだけ笑顔を見せる母。  実家に居た頃のありふれた日常だ。

父が死んでからは父の温かい優しさを感じる夢ばかり見ていたが、それは私が普通ではなく父の死を哀しみ愛しみ心の風穴が塞がらない状態だっのだろうか。

今日の夢は父が死ぬ以前に感じていた自分の感情を思い出させた。

苛立ちと不安の毎日、家に帰りたくなくて仕事が早く終わった日はスタバで10時迄時間を潰してから帰った。少しアルコールを飲んで陽気になってから帰る事もあった。

何が幸せなのか、一緒に居ても居なくても、どっちもしんどいのだ。

家族一緒に居た頃は懐かしいし、楽しかった思い出だってある。一緒にいるだけで温かい気持ちになれる時間が存在した。ひとりになってからはそういう幸せな事ばかり思い出すのだ。

どちらにしても無い物ねだりなんだろうね。

生地屋さんの魔法

生地屋さんは不思議な場所

絵の具のパレットの様に色鮮やかに

お行儀よく生地が並んでいる

透き通るような金銀のレースや

優しい手触りのチュール

バレエの衣装作りは腰が痛くなるし肩も凝る

舞台までに仕上げなければならないストレス

過去に作った衣装が部屋に積み重なって

もう置き場はない

もう作るのはやめようと思っていたのに

生地屋さんを覗くと

もうイメージがどんどん湧いて来て

宮廷の場面のキラキラしたドレスに

ふんわりとしたパステル色の妖精達

結婚式の場面の白い花柄の長いベール

舞台を想像してワクワクする

既製品じゃない私だけの舞台衣装

もう作る気持ちになっている

素敵な舞台が頭の中では出来上がっている

肩が凝っても腰が痛くなってもしんどくても

夢を紡ぐ

馬鹿だね、借りた方が楽だよって言われても

やっぱり自分の作った衣装を生徒達が着てくれて

舞台上で照明の中

キラキラ躍動するのを観るのは最高だ

生地屋さんの魔法にかかってしまった

人生を捨てた時を思い出せ

私の仕事はバレエ教室経営又はバレエ教師。

生徒含め周りからは一応それで生計を立てているように思われているようだが、全く生計は立っていなくて、スタジオを自分で借りる事になってからここ4年くらいは赤字続きだ。

コロナ禍前は社交ダンスの先生がスタジオ経営していて、私は雇われ講師の立場で歩合でお給料を貰っていたから一応少ないなりに生計は立っていたのだが、社交ダンスの先生が経営不振で遂に「スタジオ辞めます」と宣言したのだ。

月に電気代等も含め25万はヤバいから、辞めようか、それもともう少し安い場所に引っ越ししようかと悩んだが、安い物件は駅から不便で狭い所しかなく、音楽をかけるので同じビルの他のテナントさんの承諾が得られなかったりで結局は今のまま私がスタジオ経営する事になった。

毎月、毎年、預金通帳とにらめっこしても確実に減って行って、あと何年持つだろうかとしか考えられない。

生徒募集しても広告費の割に問い合わせはない。頑張れば何とかなると言い聞かせて頑張って来たけどこのままじゃ何とかならない感じに思える。

いっそ辞めてコンビニバイトでもしたほうが今は普通に生計が立つのだろう。

辞めないのは何故か。

これが好きな仕事だから。

言ってみれば、毎日好きな事して遊んでいるような生活だから。

誰かの下で働き、言われた事与えられた事をするより、自分の好きなように働けるからだ。

結局プラスマイナスしてお金になっていないのだから、働いているとは言えないくて、消費生活なのだろうけど。

このまま貯金がちょうど尽きるくらいに突然死ぬのが幸せかもなんて考える。

来てくれている生徒さんはみんな良い人達で、毎年の発表会を楽しみにしてくれているし、こんなに喜んでくれるならとまた来年の発表会の演目を考えて予定を立ててしまい、永遠に辞められない。私自身も来年に向けて、ワクワクしながら準備を進めるのだ。

副業も考えたが、他に資格や特技がなくアルバイトくらいしか出来ないので、コスパや体力や気力をそっちへ取られることを考えると、結局本業に専念したほうが良いと思い直す。

私って贅沢な人間なんだ。

これからどうなるんだろう。

何年かしたら一文無しになって、歳をとって働ける場所もなく、食べることも住む事もままならなくなるのだろうか。さすがにその一歩手前ではスタジオを手放すだろうとは思うのだけどどうだろう。バレエを辞めたら人生終わる気もするのは錯覚だと私に言い聞かせたいが。

頑固で不器用な私。

努力しても駄目なのかな。

世の中の流れってのもあるし。

 

若き日に将来の心配より

今を選んだ。

バレエで生きると決めた。

他のすべてを諦めようと人生を捨てた。

この瞬間の今

ただバレエを踊りたいという

身体の中から溢れて出て来る

血が踊りたがっている

その感覚だけを信じた。

好きと言ってくれた人との結婚をやめた。

貯蓄する事をやめて、ひたすらレッスンして勉強した。

下手でも認められなくても

ボロボロになって

地面を這いずりまわっても

バレエを選んだと言う事は

もうその時すでに人生捨てたはず。

思い出せ

私の中にあった熱いものを。