私のお気に入り書店が閉店した

仕事場の近くのビル内の書店が閉店となった。

アニメグッズの店舗が入るらしい。

昼休みにぶらぶらとその書店で本を見るのが好きだった。

そこの店員さんも親切で、私の好きな作家さんのサイン本とかが欲しくて探していると言ったら、「前はよくいろいろな作家さんにサイン会とかに来てもらったんだけど、今はあんまりないんです」と言って、その作家さんの本のある場所を探して教えてくれて、私が「これ持ってます」って言ったら、「う〜ん、じゃあ同じような系統の感じで、違う作家さんだけどこれなんかどうですか?」なんて勧めてくれたりした。

その書店員さん、本が好きという感じが笑顔からもすごく伝わって来た。

私もさみしいけど、あの書店で働いていた人達はどうなったのだろう。書店が増える事はどうやら今後はなさそうだし、他の仕事に転職しざるを得ないのだろうか。

昼休みにお弁当をササッと食べた後、散歩がてらに書店に行くと、新刊が平積みされて、書店員さんの手描きのポップアップがあったりして、本を手に取る。私は本はいつも持ち歩きたい人なので、ほとんど買うのは文庫本サイズ。中味をパラパラ捲って自分に読みやすいものを探す。そしてカフェで甘いものと一緒に珈琲と本ごあればご機嫌の昼休みになる。

私の癒し場所がまたひとつなくなった。

本はネットで買えるし、電子書籍だってあるし、便利な世の中になったけど、書店で偶然出逢ったり長い時間かけて選ぶという不便な感じが私は好き。不器用な人間だから遠回りが好きなのかな。

本を買えば買うほど家に溜まっていって本棚に入らなくなって、引っ越しの際に古本として売ったり処分しなくてはいけなくなるから、電子書籍の方が良いのかも知れないし、書店が閉店していくのは世の中の流れなので仕方ないのだろう。だけどやっぱり何がさみしい。

何かが違うモヤモヤ

私のアシスタントをしてくれている人が、石川県の災害派遣に行った。元自衛官女性。

「急に明後日から行く事になりました」と前回含め2回目。

それは本当に大変な過酷な活動だし、偉いなと思うけれど、何か私はモヤモヤする。

災害救助が必要で、人手が足りない事もわかっているが、私の方はそれに振り回される。

年に一度のみんなが大切にしているバレエの発表会前、リハーサルは抜けたままになるし、実際彼女は舞台当日だけ帰って来て踊っていたが、何か心ここにあらずな感じだった。

被災者の方の事を思うと何も言えなかった。

以前もコロナ禍で緊急事態宣言が出たから前日に急に発表会出られませんと言って来た人を思い出した。

身内の不幸や病気等いろいろ突然のアクシデントはあるから仕方ないけれど、バレエの舞台への気持ちや情熱、いつも近くにいる仲間への配慮はどうなの?と思ってしまう。

私の彼女への気持ちが離れてしまった。

私は心が狭く、自分達の事ばかり考えているのかも知れない。被災地の支援は立派だし本当に尊敬するし、1日も早く復旧する事を願う。

けれども、やっぱり何かが違う。

私はバレエが自分の仕事だと思っているから、何があっても舞台を優先するのだ。

彼女はバレエは単にアシスタント講師で、元自衛官という任務を優先したのだ。

彼女の事は尊敬するし、強くて素敵な女性だと本当に思う。友達としては最高に面白くて刺激を与えてくれる。

だけど私達のバレエの世界で同じ所を目指すのは無理だと思った。

付き合い方を変える時が来たのかも知れない。

忘れてしまうのがさみしい

父が亡くなって一年と8か月が経った。

去年の今頃は、父を思い出しては悲しみや寂しさを味わっていた。毎日出掛ける前に写真の父に「行って来るね」帰って来たら「ただいま」と言って、思い出すと泣いていた。

今は写真を素通りしているよね。時々、父の面白いエピソードやいろいろな出来事を思い出すけれど、それがもう悲しみには繋がらない。少しずつ心の中にあった「父の死」という悲しい思いが消えていったのだ。何を忘れて行っているんだろう。大切な大好きな私にとってたったひとりの父。どんな時も私の味方だった人。どんなに歳をとって老いても、耳も遠くなって、眼も余り見えなくなっても、ゆっくりしか歩けなくなっても、働けなくなって財産も失くしても、それでも私より強かった人。

最後に対面で交わしたのは病院を変わる時の移動の一瞬、ちょっと笑顔で片手を上げて私に合図した。「お金持ったか?」病院に預けていたお金の事だ。自分より私の心配してる。その時がしっかり会話出来る最後だった。コロナ禍、危篤、昏睡状態になってからの面会で最期を迎える事になる。電話は最期まで私とのコミュニケーションツールだった。いつも電話をすると必ず折り返してくれる人だった。酸素吸入で口を塞がれていてもそれをとって「あ~、うッ」もう話す力もないのに。看護師さんに怒られてた。

今思い出すとやっぱり涙が出て来るけど、忘れるってさみしい。悲しみを悲しみ尽くす事で愛していた事を確認していた。悲しみたくて側に居たくてそこに居た。こうやって少しずつ忘れて悲しむ時間が減って毎日が普通に過ぎて行く。テレビで有名人の訃報が流れて、その人の思い出番組がしばらく放送されるけどしばらくすると忘れてしまうのと大して変わらないじゃないか。私って酷いな。

忘れないためにまた少しずつ父のエピソードを書きたいです。波乱万丈で破天荒な人だったのでいっぱいあるので忘れないうちに。

今日も読んで下さってありがとうございます。

生きるのがしんどくなる時

最近は生きるのがしんどくなる時がある。

23才。いつもの帰り道、自転車を走らせながら、突然気付いた。

「私はまだ23だ。今からでもまだまだ何でも出来る」世の中が輝いて見えた。

その日から仕事をしてただ貯金をしていただけの日々は終わる。

自分のやってみたい事を片っ端からやり始めた。車の免許を取り、早朝から英会話、着付、ダンス、ボーカル。淡々と毎日同じように続く仕事を辞め、パン屋のバイトを始める。とにかく今までやってみたいとま思っていたものを全部やっでみた。それまで貯めていた預金はあっと言う間に失くなった。

33才の時、社交ダンスを始めた。先生に拾われスタジオでアシスタントとしてお金を貰えるようになった。私がバレエをやっていたと言うだけで何故か優遇され、私より10年以上もキャリアのある生徒さんの指導を任された。ちょっと若くて姿勢が良いくらいで、ステップは行く直前に先生から即席で教わった。私は自分が詐欺でもやってるんじゃないか?生徒は私を先生と呼ぶけど、みんなマジで騙されてない?と思ったが、先生面をしているうちに、自分でも先生らしくなっていくのがわかった。教師免許も取った。生活出来る程度の収入が貰えた。プロになってコンペに出た。だけど結果は出ず、ペアも相手から解消された。バレエの世界に戻る。

今は大きな怪我を2度もして、身体はいつもバキバキと悲鳴を上げて辛い。若い時には永遠に踊り続けていたいと1日中時には夜中迄、踊っていたのにそんな事は不可能になった。気持ちは踊りたくても身体はもう若くない。しかもお金もない。

若い時にはお金がなくても仕事がなくても踊りが下手でも怖くなかった。身体の中からふつふつと湧いてくる力があった。夢を追う力があった。あんな力はもう湧いて来ないのだろうか。今は、毎日気力を振り絞って頑張っている感じだ。人生は苦しみや辛い事があるからいいのだ。私は試されている、と自分に言い聞かせて生きている。いつか自分が死ぬ事も想像しながら生きている。一週間があっと言う間に、一ヶ月も一年も最近はものすごい勢いで過ぎ去って行く。周りの人達を次々と見送り、自分が逝く未来を想像してしまう。

何も知らない若い時は、やりたい事、行きたい場所があり過ぎて、そこへ行けば新しい自分になれる気がした。けれども今はそれは幻想だと知っている。自分は自分でしかないのだ。

生きるのがしんどくないのは何歳までなんだろう。それともしんどかった事を忘れてしまっただけなのだろうか?

 

自分の得を考える人のために

私の主催でクリスマスパーティーをした。20人程で、1人3000円集めて、その中でいろいろ飲み物や食べ物を買った。コロナの影響で4年ぶりの開催。

私のスタジオにレッスンに通っている人達ばかりなので気心知れた仲間なので、みんな各自いろいろ差し入れを持って来てくれてテーブルは賑やかになった。いつも一緒にいるメンバーは優しい。

ただ今回はちょっと雰囲気が違った。

1年程前からアシスタントの先生のクラスを作ったので、私があまり関わらない新しい顔ぶれもあった。何となく会話するメンバーが2分された。学校のクラスで仲の良い者が集まって分かれる感じ。まあ、そうなるだろうとは思ったし、みんな楽しければ良しとしよう。

みんなで心理テストとかして盛り上がったあとジャンケンでプレゼント争奪戦。プレゼントと言ってもお遊び程度の安価な物ばかりですが。

お開き。「プレゼント当たらなかった人は余ったお菓子持って帰ってね」と言ったのが私の失敗?

後片付けで眼を離したすきに、私のあまり関わった事のない生徒(生徒はすべて大人女子)の1人がカバンにお菓子をいっぱい詰め込んだそうで、しかも封を切ってない袋詰の物をそのまま何個も入れて、見ている人は呆気に取られて何も言えなかったみたいです。

情けない。

それはみんなのお金で私が買った物だけじゃなく、好意で持って来てくれた人の物もある。

3000円+好意のお菓子を持って来てくれる人と、3000円分以上のお菓子や飲み物を持って帰る人がいる。

たかが余ったお菓子や飲み物だけどそれを聞いて私はすごく嫌な気持ちになった。

いつもみんなの良心優しさ思い遣りに溢れていたパーティーだったのに、悲しい気持ちになりました。自分が得な事を考える人がたった1人いるだけですごく気持ち悪さを感じる。みんなに申し訳なさを感じる。

次回からは平等に人数分袋詰するか、持ち帰り禁止でスタジオに置いとくか、私が持って帰るかしようと思いました。

他人を思いやる心ある人ばかりだと何も決め事なんかなくても上手くいくけれど、信用出来ない人が1人いるだけで決め事や規則が必要になるんだと思いました。

優しくなくてごめんね

25歳の時、高校の同級生の友達が結婚した。結婚式で私はスピーチをし、歌を歌った。相手の旦那さんは優しい人だった。2人はマンションの屋上でテニスをしたり、バイクに乗って2人で出掛けたりして幸せそうだった。私が夜の遊びに彼女を誘いに行っても「こいつもストレスたまるやろうから一緒に遊んだってな」と快く出してくれた。

ある日私の職場に突然彼女がやって来た。旦那さんが事故に合って入院して危篤だと告げた。私はどう言えばよいかもどうすればよいかもわからなかった。病院へ行くと彼は薄っすらと眼をこちらに向けたが、何も話せず意識もあるのかないのかわからない状態だった。数日後、彼は亡くなった。

友人は私とよく会いたがった。何度も何度も「あの日私がもう少し早く起こしていれば」と後悔の気持ちを伝える。「あなたのせいじゃないよ」と言ったって何を言ったって、泣きながら何度も何度も話し続ける。お寺に寂聴さんのお話を聞きに行く彼女に付いて行った事もある。何かにすがるしかなかったのだろう。彼女は「人が死ぬなんて思わないやん、なのに…」と言った。

何度も会う内に彼女の繰り返しの話を聞くのが面倒になってくる。気持ちはわかるけど、少しずつ会うのを上手に断るようになる。

今は身近な人が亡くなった時の気持ちがわかる。あの時、面倒でもしんどくても彼女の側に何度でも何度でも居てあげればよかった。その立場にならないとその人の苦しみも悲しみもわからない。浅はかな若い自分、優しくない自分。亡くなる前のあの旦那さんの眼は私に彼女を頼むって言いたかったかも知れないのに。ごめんね。2人にごめんね。

私がブログを書く時

私がブログを書くのはいつも衝動的。

何かに感動した時、書かずには居られなくなる。

良い感動も悪い感動も、そんなに強くなくても心に触れた出来事でも、私が感じた事を文章にしたくなる。

ウズウズして書かずには居られない。

なので、何も感じない時は書けない。

日々の生活に追われていると書けない。

仕事を忘れ生活を忘れ、ひとり映画を観たり、本を読んだり、散歩したり、ボーッとしていると、いろいろなものが私の心の中まで入ってくる。

それは楽しい想い出だったり、悲しみだったり、苦しみだったり゙。

自分の心の中をそのまま文章にする作業が好きだ。それは私が話し下手だからなのかも知れない。自分の感情や思った事をその場で咄嗟に確実に相手に伝えるのは難しいのだ。怒りは涙に変わって声を出せなくなるし、理性的に正しく伝える事は不可能になる。何かに感動してもどんな言葉がそれに相応しいかがすぐに言えなくて、結局何も伝えられない。

心の中でふつふつとわだかまっている何かが私を書くという作業に向かわせる。

それが過去と現在で矛盾することもあるし、後から読み返すと間違った考えである事だってある。けれども、その時点での自分の考えや感情である事には違いないのだから、いいのだと思う。読者の方々が私の話しに矛盾を感じたりされる事があるかも知れないと思う。嘘を書いていると感じられる事も出て来るかも知れない。

それでも何でも私は自分の心に素直に書く。

今日の私はもはや昨日の私ではない。

今の私をここに書き留めたい。

自分の家族にさえ言えない事、友達にも先輩にも相談出来ない事、そんな思いは、わたしの事を全然知らないこのブログを読んでくれている人達にだからこそ言える。

ブログの世界は、しがらみのある日本を離れて知っている人が誰もいない外国へ旅に出るのと似ているなと思う。知らない同士だからこそ、既成概念を持たずに自由に自分を表現出来る。本来の自分にリセット出来るのだ。