無駄に話す、声をかけてみるキャンペーン

コロナ騒動も収まり京都にも多くの外国人観光客がやって来た。10年程前までは歩いていると英語でよく声をかけられてホテルの場所や行きたい所への道を聞かれた。最近はGooglemapで検索すれば道案内してくれるから、声をかけられる事がなくなった。

私的にはさみしいなと。

フランスへひとりで行った時、地下鉄の通路で迷っていたらフランス人のおじさんがフランス語で「どこへ行くのか」と聞いて来たので私が行きたい所を言うと「左へ行けばいいよ」と教えてくれた。「ありがとうございます」と言ったものの、路線図と表示を見る限りではどちらからも行けるけど、右へ行った方が近そうだったので右へ行こうとすると、おじさんはわざわざ戻って来て「左へ行けと言っただろ」と怒られた。なのでとりあえず左の道を選び目的地に到達したのだが、気になるので次の日は右から行ってみた。そしたら乗り換えの時の距離が結構あって「おじさんは正しかった」と納得した。、フランス語しか話さずフランス語で頑張って話そうとする日本人に優しい、親切で頑固ないかにもフランス人のおじさんらしい人とのふれあいだった。

フランスでは、私は旅行者であるのだけど、何故かよく道を聞かれた。パリ市内はかなり歩き回っていたので、たどたどしいフランス語を駆使して道案内出来た時は小さな達成感を感じたものです。

私は知らない場所へ出掛けて道に迷ったり困ったりした時に、勇気を出して知らない人に声をかけて助けて貰う、そして迷っている人がいたら助けてあげるのが好きです。ほんのひとときでも縁ある誰かと繋がった記憶は旅の思い出としてずっと心の中に煌めいていくから。

私の場合、ひとり旅をしてそこで出会った人との小さな経験、その人は多分覚えていないだろう出来事がたくさんの思い出としていつまでも心の中でキラキラ光っている。

スーバーのレジのキャッシュレスもいいけれど、町のお店でフランス語で頑張って買ったレタスや果物は特別なんだ。お釣をくれたおじさんの顔はまだちょっとだけど思い出せるよ。

そんなめんどくさい事がいいんだな。

便利になった時代だからこそ、人と人とのふれあいが大切になって来た気がします。

私は忙しさに負けて大切な事を忘れそうになっていました。

なので

「無駄に話す、声をかけてみるキャンペーン」始めました。