伊勢参りのパワー

4年前の8月11日。
小学校の修学旅行以来の伊勢参りへ行った。
京都から日帰りで外宮、内宮、月読宮、二見ケ浦。
個人のお願い事は荒祭宮の神様に
「私に出来る仕事を下さい」と願う。

人生が変わった。
それまで停滞していた何かが
すごい速さで進んで行った。

お参りして家に帰ったら、父がいつものように介護ベッドに横たわっていた。
松阪牛のしぐれ煮をお土産に買っていたので「食べる?」と聞いたら少しだけ食べると言ったので小さいお皿に入れた、その直後、母が不機嫌そうな顔で帰って来て「そのお皿はあかん!」皿を取り上げた。父が使う皿は決まっているらしい。父は汚いと思っているから。
私が怒って言い返す事でその日から10ヶ月も母との間は険悪に。母が父へやっている口を利かない無視をする戦略を私にも適応して来た。

お参りしたのになぜこんな酷い事になるの?

それから父は私を頻繁に食事に誘った。
もうこれが最後かも知れないと言いながら、母と過去にあった事、自分が死んだ後の事、等々を話す。
家の中で私と父が喋ることはない。
母の機嫌が悪くなるからだ。

ある日父はもう働けないしお金もないし生活保護を受けると言い出した。
「じゃあ私は家を出るね」と言った。
一人暮らし用のマンションを探し、令和元年5月1日に引っ越した。

母が父の離婚届けにようやく判を押した。
母も一人暮らしになった。
父も生活保護を受けながら一人暮らしになった。

伊勢参りからちょうど1年で家族はバラバラに崩壊した。

次の年明け、新型コロナパンデミックで日本も遂に大規模自粛生活を余儀なくされる。

仕事をさせて貰っていたスタジオの経営者が辞めると言い出した。それまでも悪化していた経営がコロナで完全にやられてしまってもうやる気がないようだった。
私の名前でスタジオを契約した。
私の働きだけでは毎月の支払いには追い付かないが、それでも自分の夢でもあったマイスタジオを貰えたのだからラッキーだ。
国からの支援金でなんとか1年間は持ちこたえる。

3年目の1月父が体調を崩した。4月に入院5月に亡くなった。
最後は私ひとりで見送る。
父は私だけを最後まで頼り、そして私だけを最後まで愛して逝った。

父の遺した全てを処分して、父が最後に選び住んだ所から近いお寺に納骨をした。

「私に出来る仕事」がひとつ終わった。

伊勢参りに行こう。
「私に出来る仕事を与えて下さい」