親子だって他人

誰かが言ってた。
「親子だって他人」別の人格なんだ。子供は親の所有物じゃない。
この言葉に救われた気がした。
父や家族を友達と思えば、付き合い方が変わる。
自分の事ばかり話す人、暗い人とは付き合わないし、ましてや、精神病んで、死にたいとか言ってる奴には近づかないでしょ。
しつこく毎日電話して来たら、うざいから無視するし、いくら好きと言われても、重くなるだけで、さらに話したくない、顔も見たくない状態になる。当たり前。
家族はそんな当たり前の事がわからない。
昨日の朝「実は…」実は…とかのあとに続くのは鬱陶しい話しかない。って言うか、自分の話を盛ろうとしているか、何かの言い訳に使おうとしてるのが透けて見える。私はこの「実は…」と言う言葉を使うのはタブーにした。
今日の朝「心配してます」それはあんたの気持ちやろ。私は心配して欲しくない。それより、そのあとの自分を心配してよ、優しくしてよがまた透けて見える。
心配してる振りして見返りをちゃっかり考えているんだ。心配されたって何にも役に立たないし、心配する方も言うだけやし損しいひんやん。
妹が父を切ったのは正しい選択だと思う。
彼女は自分の思う世界観で人生を切り開くために、父のお金の価値観の低さ、学歴の価値観の低さ、自分さえよくて、まわりの人達がどうなるかとかいう想像力の低さ、そんな父の世界観を捨てた。
彼女は悪くない。父も悪くない。
真実は1つじゃない。人間の数だけある。